• 8月 13, 2024
  • 10月 3, 2024

漢方の成り立ち

 漢方の始まりは、古代中国に発する経験医学(中国でいうところの中医学)です。中国の薬物書で最も古いものは「神農本草経」と言われています。紀元前2800年頃、はじめて諸国をめぐり、薬を探し歩いたという伝説上の皇帝神農の名をつけているものです。

この書物の著者は不明で、原本は3世紀頃と言われますが、現存しているものはなく、その出自ははっきりしていません。著者とその人物の記録が残された書物(記録)としては後漢末期(紀元200年ごろ)にまとめられた張仲景の『傷寒論』が有名です。

傷寒論とは別に『黄帝内経』と題される記録があり、これはどちらかというと鍼灸の書として名高い書籍です。古くは紀元前200年の前漢代の頃から編纂され始めたといわれています。これらの書物は「中医学」としてその体系が一つの学問として中国国内でまとめられてゆきます。この有史以来、受け継がれてきた「中医学」は、飛鳥時代(5~6世紀ごろ)に原型が日本にわたり、日本で独自の「漢方」として、その後、平安時代を経てさらに進化を遂げました。

中国での治療の記録が始まった時代は、日本ではまだ古墳時代や、その前の時代になります。しばらくして海を渡って日本に受け継がれましたが、日本の時代的には平安時代などの戦乱期でした。その後は明治維新に至るまで、時代の混乱の中で多くの流派の興亡があり、戦火や政変によりその資料が失われたりしました。かろうじて残された文献などをもとに、さらに研鑽がなされて、今現在に至っています。日本で育った「漢方」は、当然ながら元である「中医学」と共通部分は多いものの、似て非なるものとされています。


時代も変わり、場所も変わり、人々をとりまく環境も、求められる治療も変化してはいますが、根本的な人間の物理構造も精神構造も、それほどは変わっていません。数千年のビッグデータともいえる漢方診療の一端を担うものとして、この知見と知恵を無駄にすることなく、現代の診療に活かし、さらにその英知を何らかの形でさらに子孫、未来に受け継ぎ、さらに洗練させて行くことを一つの大きな使命と考えています。

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